親子で日本語奮闘中☆海外田舎子育てブログ

がんばらないけどあきらめないをモットーに続ける日本語家庭学習のキロクです!

小学国語辞典

ついに国語辞典を使えるようになりました!

 

3年生の国語教科書に国語辞典の使い方があり、オンラインレッスンで先生から辞典を持っていますか?と聞かれました。

私が高校生の頃に使っていたような古い古い辞典はありますが、これを使えるとは思えず、購入することにしました。

数年前、日本で小学国語辞典を購入しようと思ったことがあるのですが、本屋さんでどれを買って良いのか分からなかったこと。買ったところで使うのだろうか。という迷いから購入を断念。ついに辞典を買う日がやってくるとは!です。

 

先生からのお勧め3社からベネッセの辞典を選びました。

[rakuten:biccamera:13446276:detail] ベネッセ

先生のお勧め他2社

 小学館

 学研

 

選び方のポイント

ベネッセ、小学館、学研。どれも子供の学習に力を入れている会社から辞典が販売されています。大人用と小学生用の大きな違いは、ふりがながついていること!あと、イラストや写真の挿絵が多いことでしょうか。 多少の掲載語彙数の差があったり、キャラクターを使ってる、付録のポスターの種類など個人の好みで選べば良いと思います。

ちなみに、掲載語彙数は、小学館が一番多くて46,400語。学研は43,300語。ベネッセが一番少なく35,100語でした。

実は、私がベネッセに決めた理由はバーゲン品だったから。新品ですが版が少し古いだけ。うちの子がどれくらいこの辞典を使ってくれるかも分からないし。。。古いと言っても数年の差。実年齢で考えればこの版番の辞典を買っていたのでは。なんて大人の財布事情で決めてしまいました。この辞典を日本から送ってもらう送料がバカにならないので。っていうのが本音です。それと、うちの子はキャラクターに興味がないので、消去法で選んでもベネッセになりました。

 

使い方

最初は先生と一緒に使ってみました。先生もベネッセの辞典をお使いのようで、表紙を見ながら一緒〜!と盛り上がっていました。辞典の基礎としてあいうえお順で並んでいることを伝え、馴染みのある言葉(日本、好きな食べ物、動物など)で引く練習をしていました。覚えてそうで完璧でないあいうえお順。少し手こずっているようにも見えましたが、お目当ての単語にたどり着いた時はちょっと嬉しそう。(レッスンを遠目で見守る母)最後に交互に単語を言い合って、どちらが早く見つけられるか競争。どうしても先生の方が早く見つけてしまうので、先生は10秒数えてから辞典を引くというルールになりました。

 

辞典を持つようになって、漢字の書き取りは辞典を見てするようになりました。知らない言葉を自分から引くようなことになって欲しい。と思っていますが、まずは宿題をする時にできるだけ辞典を引くように声をかけています。先程もカタカナを見つけ出す問題を解きながら、私に正解だけ教えて。と言ってきたので、辞典を利用するように言ってみました。カタカナ表記にする擬音語が辞典にのっておらず、最後までこれはカタカナ?と悩んでいました。カタカナで書く言葉がハッキリ分かっていない。ことに多少驚きましたが、仕方ありません。根気強く続けていくのみです!

 

 

 

 

 

 

 

 

習熟別クラス

フッと習熟別クラス編成について調べた結果をまとめてみます。(備忘録)

 

習熟クラス別にするよりも、クラス内で習熟度に分ける。分けると言っても優劣を決めるために分けるのではなく、生徒が伸びるための最善方法として分けることを生徒も知ることが大切。

 

ひとつのクラスで、お互いに刺激を受け合う環境が望ましい。

 

成績がおもわしくない生徒が上位の生徒の発想、学習態度などの刺激を受けることが良い。生徒間での助け合い学習(協力的な学び)が望ましい。

 

生徒たちが通う地域が安定しており、学力が高い生徒が多い場合、習熟度別のクラスよりも先生二人編成クラス。学習が広がる。

 

高卒と大卒の生涯年収差は約1億円。全体的なレベル底上げにすることによって、大学進学率を上げ、個人が十分に自分もしくは家族を養えるようになることの経済的効果は大きい。(教育レベルが上がると、犯罪率が減り、子供の健康レベルも上がる。)

 

 

 

 

 

 

ネットフリックスで日本語学習

最近、鬼滅の刃を日本語でうちの子と見ました。

 

動画を観るだけで、日本語力が上達するとは思っていませんが、全く興味のなかった日本語のスクリーンタイム。せっかく観るなら、少しでも日本語力アップに繋げたい!

 

とにかく、観ただけで終わってしまうと日本語力に繋がらないから、アウトプットの時間を確保。

一緒に観ることができなかった時は、あらすじを聞いたり、一緒に観た後は、必ず感想を喋り合うようにしています。

鬼滅の刃は、大正時代の設定なので、時代背景を説明したり。

とにかく動画なので、あらすじはだいたい分かってる。

シーズン1を観終わって思うのは、語彙がすこ〜し増えたかな(笑)

それでも、観ないより観るほうが日本語を聞く時間が増えるわけで、シーズン2が始まるまでの間、今度は進撃の巨人を見始めました。

鬼滅の刃もそうですが、人がたくさん殺されるシーンを観るのは、少し不快。

進撃の巨人は、鬼滅の刃より少し複雑に思います。

出てくる語彙が私でも難い!(駆逐って何?)

最初に家畜という言葉が出てくるのですが、コレは絶対に分かっていません。

所々、解説を加え、最初の数話を観ましたが、私は鬼滅の刃の方が好みです。

まだ観始めたばかりなので、分かりませんが。

 

本当に日本語学習に繋げたいのであれば、日常生活が舞台の動画の方が良いと思います。その方が本当に使える言葉を覚えられます。

分からない言葉が出てきたら、一緒に辞書を引くなり、説明してあげるなりしないと、中途半端なまま。ただ動画だけ観て終わるのはもったいない!

ただし、何度も動画を止めて説明すると、今度は子どもが親の解説を嫌がってくるので、話のキーポイントになるところだけにしました。

 

ちなみに、動画を観ると聴く力と語彙力は上がりますが、読み書きの力は上がりません。当たり前ですね!

 

あと、日本語字幕があれば、字幕を見ることで、セリフがクリアーになり、多少は読む力もアップするのでは。

 

欲張って、このまま自分で漫画読んでくれたら☆なーんて思いましたが、もう少し教科書の音読がスムーズになったらね。と天の声が聞こえてきました。

 

 

 

ショパンコンクールと日本語教育

先日のショパンコンクール結果を聞いて、日本語教育との共通点を考えました。

以前からも、ピアノと語学習得には似ているところがあると思っていましたが、今回確信した点が一つ。

 

それは、どちらも継続が大切なこと。

 

ピアノを習って翌日にショパンが弾けるようにならないように、語学も急にペラペラに話出すことはないでしょう。

毎日の練習が、未来を作ると言っても過言ではない。

でも、コンクールの結果を聞いた時つい口から出た言葉は、『小さい頃からきっと天才ピアニストだったんだわ。』実際、小学生の時からコンクールで賞を取るとか、最初から凡人とは違う人もたくさんいるのだと思うのですが、でもここで才能だけに頼ってしまっていては、こんな世界的なコンクールで良い成績は取れないのでしょうね。

 

受賞の喜びを語る新聞記事を読みましたが、4位の小林さんは優勝することが目的ではなく、自分の力を発揮することができたかどうか。自分が思う演奏ができれば良い。と書いてありました。結果重視ではない考え方。これは学ぶところが大きいです。2位の反田さんは、5歳の時から音楽教室に通い出したそうですが、当時の音楽教室の先生曰く、特別な才能がある。いわゆる天才肌の生徒ではなかったとのこと。12歳の時にショパンコンクールを見て、いつか自分もあそこで演奏したい。その夢が目標となり根気よく続けた結果、2位という素晴らしい結果を手に入れることができました。

つまり、お二人とも素晴らしいマインドセットの持ち主だということですよね。やればできる!失敗しても挑戦する。そういう心の持ち主だったからこそ偉業を成し遂げつことができた。

 

ここまでの大きな目標ではありませんが、来るべき時に備えて、日本語を通して続けることの大切さをうちの子には体感して欲しい。本人は全く実感がなく、ただ面倒くさい。と思っているようですが、確実に昨日より今日。先週より今週、目に見えないないだけで確実に力は伸びていっている。

そのためには、親の言葉がけがとも大切。

才能を褒めず、努力を褒める。これがしなやかマインドセット脳になるための鉄則。

『毎日読んでいるから、スラスラ読めるようになったね。』

『8個も漢字読めたの!よくできたね!頑張ったね!』

 

褒める言葉がうまく出てこない時は、子供になぜだと思う?って聞いてみるのも効果あり。

『どうして、コンクールで優勝できたと思う?』『テストで満点だったのはなんでかな?』

そこで、『だってピアノが上手だから。』『だって、天才だから!』なんて答えが返ってきたら、優しく『そうね、でもきっとすっごく練習したんじゃないかな。』『前の日にテストの勉強したからじゃない?』って努力した過程に気づかせてあげる。そして上手であっても天才であっても、努力しないと一定のレベルを保つことができない。ってこともそっと付け加える。

 

千里の道も一歩から。何事も近道ってないんですよね。

 

 

イカゲームと連想ゲーム

日本語レッスンの最後に時間がある時は、簡単なゲームをしています。

最近、ハマっているのは、連想ゲーム。

レッスンが終わった後に、『連想ゲーム知ってる?』と聞いてきて、10分ほど一緒に連想ゲームをやってみました。

寿司→美味しい→パンプキンパイ→アイスクリーム→冷たい→かき氷。。。みたいな感じで10分なんてあっという間に過ぎてしまいます。

連想ゲームの前は、あっち向いてホイが気に入っていて、時々一緒にしていました。普段はコンピューターに向かってゲームを楽しんでいます。こういう昔懐かしい系のゲームはかえって新鮮なのかもしれません。

 

ゲームと言えば、ネットフリックスで大人気のイカゲームを一緒に見ていたのですが、韓国の子供がするというゲームがドラマ内で重要なキーポイント。

だるまさんがころんだや型抜き、綱引きなどは、日本でもお馴染みのゲーム。

『お母さんも子供の時にやってたよ!』なんて言いながら、韓国のドラマを通して日本の話しに繋がっていきました☆

内容的には残酷なシーン(私には!)さえなければ、ヒューマンドラマとして十分見応えのあるドラマです。登場人物の描き方が素晴らしかったと思います。

 

耳は日本語、目は英語。日本語の勉強になったかどうかは別として、久しぶりに親子でドラマを見るのはとても楽しく、ドラマが見たいので、夕食後の片付けも進んで手伝ってくれました。(私の片付けが終わらないと見ない。という約束。)

ドラマを見終わった今、全く手伝ってくれません。なので、一緒に見られるドラマを探し、後片付けを手伝ってもらうことをもくろみ中です。

音読を軽んじた結果

日本語で徹底すれば良かったことその2。

それは、音読。音読は大事っていうことは分かっていたけど、軽んじたことを深く反省。

だって、本人がすごく嫌がるから。。。低学年の頃までは、毎日はとても無理だけどたまに機嫌良いときなんかに、読むことがあった。でも、どんどんひらがなだけでは読めない文章が多くなっていき、漢字、カタカナの壁にぶつかるうちに音読から遠ざかってしまった。1年生の漢字は、訓読みでほぼ覚えていたけど、文章となって出てくると、簡単な漢数字の一がイチと読むときもあれば、ヒトつって読むときもある。これって、文章を自分で読まないと身につかない。母の音読を聞いているだけでは、漢字の読みには繋がらない。

 

そんなこんなで、数年音読を放置した結果、読めなくなってしまいました。読めないって言うと大げさだけど、たどたどしくて、聞いていて苦しくなる。母が諦めた結果?!だと思うと余計に私の胸が痛む。

 

日本語レッスンを受けるようになり、音読は毎日の日課になり1年が過ぎました。スラスラではないけれど、最初のたどたどしさを比べたら、本当に上達した。音読を再開した時は、あーとかえーとか、すぐに言葉が出てこないから、言い澱みが多く時間稼ぎみたいなことが多かった。何度も水を飲んだりして落ち着かない。それが、最近ようやく言い澱みが少なくなってきた。漢字の読みも随分上達した。文章を理解した上できちんと読み分けられるようにもなった。

 

日本語学習全般に言えることだけど、絶対に止まってはダメ。止まるとせっかくついた日本語の力も止まる。下手すると後退する。昔、クラブ活動の顧問の先生が、練習を一日休んだら三日遅れる!って言ってた言葉を思い出した。子供の日本語学習、まさにソレ!

 

音読の効果は本当に絶大。

語彙が増え、色々な漢字の読みを学べる。これは大きい。ローマは一日にしてならず。継続は力なり。これが私たち親子の合言葉&人生教訓。

 

 

 

 

一番反省していること

もしもの話をしても仕方がないとは分かっているけれど、私がバイリンガル子育てで、これさえしっかり徹底していればと反省していることは、ただ一つ。日本語で返事をする習慣の定着が甘かった。

それは、日本語で話しかけられたら、日本語で返す。このシンプルで当たり前のことを徹底できていなかったために、うちの子の日本語会話はどんどん怪しく、そして日本語で話すことを億劫に思っている。

それでも日本語の先生とは、頑張って日本語で話そうとしているらしい。その努力は認めているけれど、よくよく聞いているとかなりカタカナ(英語の単語)がたくさん入っている。先生もそこはうちの子のレベルを分かっておられるので、強く日本語で話してね。とも言わないが、内心カタカナが多いなって思ってるのでは。

唯一の救いは、カタカナ発音は英語訛りではなく、そこはバッチリ日本人発音なところ(笑)

学校から帰ってきたばかりだったり、英語で経験したことを日本語で話すことは難しい。と聞いたことがあるし、英語で話す内容も幼稚園の頃と比べると語彙も難しくなっているので、同じことを日本語で話せるって、ちょっと考えたらかなりハードル高いよね。

何事も遅すぎることはないと信じて、「それ、日本語で説明してくれる?」と英語が分からない振りをする母なのでした。